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古民家ライフ株式会社
代表取締役 高木孝治
きっと今、あなたが抱いているはずの「発酵住宅ってなに?」という疑問。
それに回答する前に、まずは当社の理念をご覧ください。
◆昔から伝わるいいモノ、智慧、文化、技術、魂を受け継ぎ伝える事。
◆見えないものの声を聴け。自然に寄り添い自然の力を引き出し、活用させて頂くことが仕事である
◆お客様のために思想する大工たれ。我々は価値をデザインする表現者である。
当社が建築している発酵住宅は、まさにこの理念を実現した家になります。
「発酵住宅」という言葉は、当社が生み出した造語です。発酵と聞いて、あなたはどんな事を連想しますか?
代表的なものを言うなら、味噌や醤油、ヨーグルトや日本酒。そのほかパン、ワインやチーズ、キムチ、漬物などもあります。
毎日お父さんが仕事終わりに「ッカーうめー!!この一杯のために生きてんなー!!」と言っているあのビールも、発酵のたまものです。
このように、私たちの身の回りには発酵の恩恵を受けている多くのものがあります。そして発酵は、たくさんの菌や微生物の働きにより成り立っています。
この菌の数は、たった1gの土の中だけでも、なんと1億個。それだけ多くの菌が豊かな土をつくり、我々に実りをもたらしてくれています。さらに、あなたのお腹の中でも、100兆個とも1,000兆個とも言われる腸内細菌が活躍してくれています。もはや、菌の働きがなければ我々は生きて行くことさえできません。
私たち人間は、こうして菌と共存共栄しながら生きてきました。
だからこそ、自然素材を使い、人間にも菌にも喜んで暮らしてもらえるような環境をつくる。当社の「発酵住宅」は、そんな本物の「自然素材住宅」=生きている建築を目指して誕生した住宅です。
古民家ライフは、発酵住宅と微生物の働きから、古来より伝わる日本建築の在り方を考えていきたいと思っています。そしてこのウェブサイトは、19才のときに古民家の写真を見て「これだ!!」と一瞬で古民家再生の大工になると決めた、私の思索を綴った物語でもあります。
そこにいたるまでには紆余曲折がありましたので、ちょっと自己紹介をさせてください。
生まれは福島県伊達市。いわゆる福島のかなり田舎です。
家の裏山は竹林。そのためタケノコを買うという概念は全くありませんでしたし、栗もわんさかなっていました。目の前の川で泳いだり、井戸のイモリをつかまえたり。そんな幼少時期を過ごしました。
実家は父の代から始まった工務店でした。常に家には大工さんがいて、家のあちらこちらには木くずが落ちていました。遊び道具っは木端か大工道具。
大學進学を目指し予備校に通っていたときのこと。セミが一斉に鳴き始め、これから夏期講習が始まろうというある日、突然、父の余命が告げられました。ガンでした。そこからはあっという間で、その年の12月に父は亡くなりました。しんしんと雪が降っていたそうですが、私は今も当時の記憶があまり思い出せません。
父が亡くなると同時に、会社も倒産。福島には住めなくなり、夜逃げ同然で故郷を離れることになりました。住むところも、大学に進学することも、すべてを諦めなめればならない状況でした。
そんな辛い状況のころ、私は本屋さんで一枚の写真と出会います。それは雑誌に掲載されていた、古民家再生の写真でした。この写真を見た瞬間、私は「これからこれで生きていこう!」と決断します。
当時の私はまだ19歳。なぜ古民家の道で生きていこうと思ったのか、その理由は自分でもわかりません。でも、それ以来20年以上古民家を追い続け、今では胸を張って天職と言えるまでになりました。
とはいえ、私が19歳のころと言えば、まだパソコンもそれほど普及していない時代です。ですから「古民家で生きていこう!」と決めたものの、情報は全くと言っていいほどありませんでした。
設計事務所に勤めてはいたものの、欲しい情報がなかなか入ってこない。まだ父の死を引きずっていた私にとって、当時はあの建築雑誌で見た、たった一枚の写真だけが生きる希望となっていました。
こうしてモヤモヤしていた私を救ってくれたのは、またもや建築雑誌でした。ある雑誌の片隅に、こんな記事が載っていたのです。
この塾は、古民家再生も手掛ける建築家、鈴木喜一先生が主宰する建築を学ぶ場でした。塾長は、建築評論家の平良敬一先生。そこで平良塾長の講演を聞いた私は、頭をガツンと殴られた様な気分になります。
体で覚えるのが基本の、建築教育。ですが当時ですら、質の良い職人がどんどんいなくなっているのが現実…。
仕事柄、当時も今も、職人不足を嘆く方とはたくさんお会いします。誰もが世間的に口当たりの良いことを言うのですが、自ら現場で大工をやろうという方は1人もいませんでした。
当時23歳だった私も、そのことは強く実感していました。ですから、
「このままでは、古民家を扱える職人がいなくなってしまう。だったら自分がなればいい。設計と大工の両方ができる、業界の垣根を取り払った存在に自分がなろう!」
こう決断し、その場で「大工になりたい」という気持ちを鈴木先生にお伝えしました。すると、この時初めて会ったにも関わらず鈴木先生は私を面白がってくれ、実に様々な方を紹介して下さりました。
そのおかげで、私は山形で、古民家再生を手掛ける工務店で大工修行を始めることができました。そして、それから数十年。今は棟梁として、工務店の社長として仕事をさせて頂いています。
今の自分があるのは、19歳の時からこのような出来事があり、その後たくさんの方々と出会えたおかげです。
いつか自分が歳を重ねた時に、自分がして頂いたのと同じことを、次の世代の人に行う。それが、お世話になった諸先輩方に対する一番の恩返しになると考えています。
こうして古民家に携わっている私ですが、古民家を解体するたびに、その良さを本当に強く実感します。
古民家は良質な木と土、そして草でできています。年配の方はそのことを理解しているのでしょう。茅葺きの仕事に行くと、必ず「茅の切りくずが畑の肥料になるから」とご近所の方々がわざわざ取りにきます。
また古民家に使われている木には、現在使われている場所とは違うところに切り込みがある場合もあります。これは、その材木がすでにリサイクルして使われた証拠です。
つまり、古民家には捨てるところが全くない。こうした発見をするたび、昔の人の知恵の凄さや、木の生命力に本当に驚かされます。
弊社が建てる新築住宅は、このような古民家の木組みを参考にして造りあげた自然素材住宅です。できる限り、下地に合板は使いません。そして、できる限り職人さんの手仕事で造っていきます。
なぜ、このような手間のかかる造り方をするのか?
それは、この手作業こそが廃れていく日本の文化を繋いでいく作業であり、本当に良いものを伝える役目でもあると考えているからです。
うちに来てくださるお客様の中には、エコロジカルな生活を望む方や、自分で何かを造ることが大好きな方が多くいらっしゃいます。
お陰さまで、毎年開催する味噌作りのイベントはいつも満員御礼。今は事情でやめてしまいましたが、近所のおじいちゃんと一緒に泥だらけになりながら、自分たちで食べる米も作っていました。
こうした活動をしていく中で、ふと「味噌も発酵だよな。そういえば古民家の壁にしても、泥の土を発酵させて作ってから壁に塗るよな。有機野菜農家の伊藤さんちの肥料も、うちのおがくずを発酵させて作っているな…。」
そんなことを考えた瞬間に「自分がやってきた事って、全部発酵だ!そしてそこには必ず微生物がいる!」と気づいたのです。これこそが、発酵住宅が誕生するきっかけでした。
発酵と腐敗の違いは、紙一重です。
人間にとって「有用」な微生物が働いている過程=発酵
人間にとって「有害」な微生物が働いている過程=腐敗
たったこれだけの違いしかありません。だからこそ、腐敗を引き起こす環境であってはならない。微生物と住む人が生き生きと過ごせる環境、つまり「発酵する環境」を整えなければなりません。
このように考えている、私どもが建てる家。それが、生きている建築の概念を実現した「発酵住宅」なのです。
建物だけを造っていては、分からない。化学肥料をやる野菜作りをやってもわからない。味噌をスーパーから買ってきて、使うだけの人にもわからない。
古民家に憧れ、微生物と出会い、そのような昔の人の知恵や技術をつぶさに見てきたから私だからこそ「発酵住宅」という概念たどり付けたのだと思っています。
最後に余談ですが、うちの子供たちは自然の中で遊ぶ事を基本方針に据えた保育園に入れました。そこでは土の上をハイハイさせたり、山登りをさせたりしています。そのため毎日着ているものが泥んこだらけで、洗濯物が大変だったのも懐かしい思い出です。
免疫学者である藤田紘一郎さんの著書『長命革命』(藤田紘一郎 著/海竜社)の「天才の育て方」の項目を読むと、「床に落としたものは3秒待ってから食べる」と書いてあります。
時代とともに、3秒ルールも新しくなるのですね(笑)。今流行りの無菌、無菌と叫んでいる現代の方々には理解できないルールかもしれません。
ある時迎えに行くと、おあそびの中長男が土を口に入れていました。「ぺっぺすれば大丈夫だから~」と言う先生。その後、小学校にあがった長男は一日も休まずに小学校に通いました。休みたくても体が丈夫すぎて休めなかったようです。
私は生物学者ではありませんし、国文学者でもありません。私がこの手で体験し積み上げてきた経験と、教えていただいたこと、本で読んだこと。そして、自分で考えたことをベースに、人間と微生物と住宅との関係を「発酵住宅」で体現していきたいと思います。